日本競馬界のレジェンド 武豊騎手のここがすごい【前篇】

日本競馬界のレジェンド 武豊騎手のここがすごい【前篇】

みなさんこんにちは!

もうすぐ春のG1シリーズが到来です!これから競馬が面白くなっていきますね。
みなさんは武豊騎手は好きですか?もしくは好きな騎手や、よく買う騎手はいますか?

私は熊沢騎手や和田騎手が好きです。もちろん武豊騎手も大好きです。熊沢騎手は現在、主に障害で騎乗しています。筋肉質でしっかり馬を追ってくれる頼りになる存在です。昔はダイユウサクで有馬記念を優勝しています。

和田騎手は平地のレースに騎乗しています。G1にも乗っていますね。以前はG1を7勝もしたテイエムオペラオーの主戦騎手でした。

今回は競馬ファンならみんなが知っている日本競馬会のレジェンド 武豊騎手の「ここがすごい」というところを紹介していきます。
日本競馬界のレジェンド 武豊騎手のここがすごい【前篇】をお楽しみください。

この記事を読んでいただければ以下のことがわかるようになります。

・武豊騎手の凄さがわかる。
・武豊騎手の馬券を買い、楽しむことができる。
・一流のプロの仕事に向き合う姿勢がわかる。

順番に見ていきましょう!

日本競馬界のレジェンド 武豊騎手のここがすごい①前人未到のダービー5勝!


武豊騎手のすごいところはたくさんありますが、中でもダービーを
なんと、5勝もしています。これは日本ダービー最多勝利記録です。
騎手人生を賭けてもダービーを1勝もできないで引退する騎手も少ないレベルなんです。
詳しく見ていきましょう。

ダービーとは


ダービー(正式名称は東京優駿)は3歳の牡馬のチャンピオンを決めるレースです。
毎年5月下旬に東京競馬場の芝2400Mのコースで開催します。

一般的に皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」
ダービーは「最も運のある馬が勝つ」といわれています。

強いだけではなかなか勝てず、運の要素も必要であるということだと思います。

ダービー当日、大雨が降った場合を考えてみてください。
実績上位の有力馬がいたとしても、雨を嫌がる性格だったとしたら勝つのは難しくなってしまいます。

イギリスのチャーチル元首相は
「ダービーのオーナーになることは一国の宰相になることよりむずかしい」と話しています。

それほど、ダービーというレースはホースマンなら誰もが憧れつつもなかなか勝つことができないレースという事ですね。

前人未到のダービー5勝


武豊騎手はダービーをなんと 5勝もしています。
すごい記録ということがわかっていただけると思います。

競走馬 調教師 2馬主
1998 スペシャルウィーク 白井寿昭 臼田浩昭
1999 アドマイヤベガ 橋田満 近藤利一
2002 タニノギムレット 松田国英 谷水雄三
2005 ディープインパクト 池江泰郎 金子真人ホールディングス

競馬を知らない人も一度は聞いたことがあるディープインパクトを始め、数々の名馬と
ダービーを制覇しています。

ちなみにG1は77勝しています!重賞だと342勝!(2021年3月1日現在)

なぜすごいのか


ダービーを5回も勝つことができたのは素晴らしい成績です。
ですが。そのダービー5勝を勝ち取るための努力や精神力こそが一番の武豊騎手の素晴らしさだと思います。

競馬は他のスポーツと違い、本人が実施するスポーツとは違い、騎手は当然ですが、巨相場に乗ってレースに出走します。

ですので競走馬に乗るには「騎乗依頼」がなければレースに出ることはできません。

1頭の競走馬には多くの人が関わっています。

「馬主」 競走馬のオーナー
「調教師」レースのプランや調教を計画したり、競走馬のマネジメントをします。
「厩務員」馬の世話をします。
「調教助手」馬のトレーニングをします。

競走馬に騎乗してレースに出るにはオーナーからの騎乗依頼がなければレースにでることができません。

オーナーは調教師と競走馬のレースの進め方や誰に乗ってほしいか、短距離のレースに出るのか、長距離のレースに出るのか打合せをします。そこで誰に乗ってもらうかを決めることもあります。
オーナーも数千万円、中には数億円の競走馬もいます。大金を払った買うわけですからレースに勝ち、賞金を稼ぐ事を目的にします。だからこそ騎乗技術の高い信頼できる騎手に依頼したいと思うのです。

武豊騎手は上記ダービーを勝った馬のオーナーでわかるようにたくさんのオーナーから信頼を得たからこそ数々の記録を納めることができたのです。

武豊騎手への世界のリスペクトの声


具体的に世界の競馬関係者がどのように武豊騎手について発言しているかまとめました。

世界の名騎手 オリビエ・ペリエ
マジックマン ジョアンモレイラ
ジャンクロード・ルジェ

世界の名騎手 オリビエ・ペリエ


ペリエ騎手は日本でも騎乗経験が豊富であり、凱旋門賞を4度も制覇したフランス出身の世界的名騎手です。

ペリエ騎手の武豊騎手についてのコメント

「ユタカ(武豊騎手)は頭の中に時計を持っていて、馬が何を考えているのかをわかっている。」
と大絶賛のコメントをしています。2018年にペリエ騎手が選ぶ世界の名騎手5人に選出されています。

マジックマン ジョアンモレイラ


マジックマンの異名を持つ ジョアンモレイラ騎手。
ブラジル出身で、ブラジル、南アフリカ、シンガポール、香港、などで騎乗。

モレイラ騎手は2013年9月6日に、騎乗した8戦を全勝。メディアからは「Magic Moreira マジック モレイラ」と称賛されました。

そんなモレイラ騎手は武豊騎手についてこうコメントしています。

「日本ではユタカ・タケさんが皆に尊敬されているのがよく分かります。彼も技術だけでなく、人間的に素晴らしいので、尊敬するジョッキーの1人です」

ただ馬に乗るがうまいだけでは大成しません。偉大な記録を作るには下地となる、人としてまわりの人から尊敬を集めることができるから大記録を作る事ができるのだと思います。

こういったモレイラ騎手のコメントにあるような、まわりの人たちから「尊敬される」ということはとても大切なことです。

ジャンクロード・ルジェ


フランスの有名調教師です。2019年凱旋門賞で出走させるソフトライトの騎手に武豊騎手を起用したことで日本でも有名になりました。
このソフトライトは日本とは縁もゆかりもなく、ルジェ調教師が武豊騎手を抜擢したといわれています。
そんなルジェ調教師の言葉です。

「ユタカタケが素晴らしいジョッキーである事は以前から分かっています。だから彼に乗ってもらいたいと思い依頼をしたまで。単純な話です。」

世界の競馬関係者も皆武豊騎手を絶賛しています。このように世界から評価を受けているのは同じ日本人として嬉しくなりますね。

日本競馬界のレジェンド 武豊騎手のここがすごい②強靭なメンタル


武豊騎手の凄いところは成績だけではありません。強靭メンタルの持ち主でもあります。
競馬はプレッシャーのかかるスポーツです。
レースは1分、長くても3分程度で決着がつきます。
レース中には様々なことが起こります。

馬が走るのを嫌がってしまい、隣の馬にぶつかってしまう。
騎手が手綱をうまく操作できずに、カーブを大きくまわってしまう。
レース中に発情してしまう。

瞬間、瞬間での判断が要求されます。

そしてケガもつきものです。500キロから600キロある馬に乗ってムチをうち、時速50キロくらいで走りますので、落馬や馬同士の接触などでケガをすることも日常茶飯事です。

そんな過酷であるレースを走り続ける武豊騎手のメンタル面を見ていきましょう。

・ケガの克服、スランプからの脱却がすごい
・騎手は馬に乗らなきゃ勝つことができない。騎乗依頼
・50歳を超えても大活躍!年齢の衰えを感じさせない

ケガの克服、スランプからのダービー制覇がすごい


武豊騎手もケガをしてスランプになっていると言われるようになってことがありました。

落馬事故からリハビリ。成績低迷


2010年3月27日のレースで落馬。何か所もの骨折。全治半年とニュース流れました。
特に左の鎖骨が重く、骨折というよりも鎖骨が破壊されたような状態でした。
そしてプレート手術を受けます。
4月2日に退院。GW空けにリハビリを開始します。再びレースに乗れたのは8月1日でした。

本来はこの落馬事故は数ヵ月で治療できるものではなく、数年かけてゆっくりと
治療を行っていかなくてはならないレベルの怪我でした。元に戻るかもわからない状態です。
ですが、当時多くの有力馬の依頼を受けていた事情もあり、急ピッチでリハビリをした背景がありました。

また、ダービーに騎乗予定であったヴィクトワールピサにも乗れませんでした。(ちなみにヴィクトワールピサは皐月賞は岩田騎手で1着、ダービーも岩田騎手で3着)
皐月賞前までヴィクトワールピサは6戦5勝2着1回の成績でした。(すべて武騎手が騎乗)

騎手にとって、自分が主戦として騎乗する予定の競走馬はとても大事な存在です。
騎手の世界は成績がものをいう世界であり、騎乗ミスをする騎手には馬は回ってきません。

8月1日に復帰するも、鎖骨の状態は良くなく、成績も伸びません。
2010年は69勝止まり。(前年2009年は140勝)
2011年64勝。2012年はデビュー以来最小の56勝。

世間では武豊の時代は終わったとの声も囁かれるようになりました。

この時期の成績低迷について武豊騎手は
「年間200勝していたのが数年後に年間50勝になるのは正直きつかった。
『武豊』でも結果が出ないとこういう状況になる。シビアな世界だと思った」
当時を回顧しています。

それと同時に、「『武豊』の真価が今 問われている」と自分を叱咤激励しながら
気持ちを奮い立たせていたといいます。

そしてついに2012年12月に運命のラジオNIKKEI賞にキズナに騎乗しレースに出走。

ここから武豊騎手の怒涛の反撃が始まります!

日本競馬界のレジェンド 武豊騎手のここがすごい【後編】で続きをお伝えしていきますので、お待ちください。

後編までの間、皐月賞の有力馬情報の記事を作成していますのでご興味のある方は見てくださいね。
https://online-gambler.info/3055/

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