この記事は、スロプロであり、親友である友人にインタビューした内容を記したものである。尚、記憶を辿りながら書き起こしている為、機種や年代に多少の誤差があるかも知れないが、そこは許容していただいた上で楽しく読んでいただければ幸いである。
第一章に続き、スロプロの彼が最初に打ったスロット台とは…。
第一章をまだ読まれていない方は、下記のリンクより飛ぶことが出来る。
インタビュアー showタイム編集長
初めて打ったスロット台
おじさん達がメダルを出している光景を目の当たりにした私は、翌朝の開店直後のおじさん達の動きを見てみることにした。すると、おじさん達は揃ってシオサイ30という台に座り、少し回しては隣の台、少し回しては隣の台へと、移動を繰り返していた。
「何をやっているんだ?」おじさん達の動きの意味を理解していなかった私は、しばらく様子を見た後、いつも通り海物語へと向かった。少ししてトイレに向かうと、おじさん達はまた皆してメダルを箱に盛っていた。
私は海物語を止め、その日初めてスロットを打つことにした。おじさん達が回した後であろう台に座ってみた私は、試しに1000円を投入し回し始めた。私がスロプロになる過程において、真のデビュー台となったのはシオサイ30だった。
その時、時計の針は10時頃を指していた。
私が打ち始めるとすぐに、おじさん達はコインを流して帰っていった。
その後もしばらく打ち続けた結果、それまでパチンコで大きく負けたことがなかった私は、その日初めて大敗を喫することになる。
スロットはパチンコに比べ、お金の減り方が速かった。
その日所持金3万円を握りしめ挑んだ私は、無残にもその所持金の全てを失った。
初勝負で大敗するも
悔しかった私は、翌朝も開店直後にシオサイ30を見に行くと、既におじさんたちが分散して台を回していた。
その日はすぐにおじさん達に交じって近くの台を打ち始めると、一人のおじさんが私に話しかけてきた。少し驚いた表情を浮かべる私におじさんはこう言った。
そこで私は
と伝えた。
するとおじさんは
と言ってきた。
「モーニング?」何を言っているのか理解出来なかった私は、
と質問した。
するとおじさんは
と言いながら、その店のシオサイ30が裏モノであったこと、モーニングという機能が付いていることなどを教えてくれた。
ざっと説明を聞いた私は、その時のおじさんの言葉をきっかけに、それまで何となく台を選んで打っていたパチンコとは違い、狙って勝つには台選びが重要であること、十分な戦略の上で勝利を積み重ねていくことが大切なんだということを考えるようになった。
おじさん達からアドバイスをもらい
少し成長した気分になっていた私は翌朝、意気込み高く店の一番前に立っていた。
横にはなぜか、ヤングジャンプ、コーヒー、タバコ等が置かれている…。
すると、いつもの作業服を着たおじさん達が慌てて車から降りてきて
私は、店の前に並べられたものが場所取りであることに気づかず、一番乗りだと勘違いして揚々と立っていたのだ。
すると私の顔を見たおじさんが
と言ってきた。
おじさん達の後ろに並び直した私におじさんが
と言ってくれたので、私はおじさん達の後に着いて入店した。
私は昔からあまり物怖じしないタイプで、サザエさんのカツオくんみたいな性格なのである。
慣れた様子のおじさん達と共にシオサイ30に座ると
と言うので回してみると、すぐにハイビスカスが光った。
おじさん達が朝一台移動を繰り返していたのはこれだったのか!その意味が、この時ようやく理解出来た。
ボーナス確定!これが初めてスロットで当たりを引いた瞬間だった。この時、ボーナスを引いたら7を揃えるということ、そして目押しすら知らなかった私は、そのままリールを回し続けていた。
見かねたおじさんが
と教えてくれ狙ってみたが、うまく揃えることが出来ず、そうしているうちにメダルがなくなってしまった。1000円を追加投入し、ようやくリズムが掴めてきた私は、なんとか自力で7を揃えることが出来た。
その後運よく連荘が続き、2000枚程度のメダルを獲得することが出来た。
この日私は、論理的な立ち回りで勝つとはこうことか。という自信にも似た満足感で満たされていた。
(いやいや、ただモーニング打ってるだけでしょ!というツッコミが入りそうだが、そこはとりあえず置いといて…。)
ここまでは、第一章前編で初めてパチンコ屋へ行ったあの日から二週間程度の話である。
通算成績は20万円プラス。スロットで負けた分はなんとか取り返すことが出来た。
そしてここから、作業服を着たおじさん達とのストーリーが始まる…。
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第三章へつづく。